三ヶ根山、幸田駅から西幡豆駅まで(2021.2.28)
2月最終日の日曜、出掛けた場所は愛知の西尾市、蒲郡市、幸田町の三市町の境界にある三ヶ根山。
山頂付近まで三ヶ根山スカイラインが走っているためか今まであまり行く気がしなかった山ですが、現時点で愛知県から出られないこともあり、たいした予備知識も無く出掛けて見ました。
予備知識、あった方が良かったというのは後々分かることです。
今回は少しだけ電車を利用。まずは登山口に近い三ヶ根駅周辺に車を停めてスタート、ゴールは西幡豆駅の予定でしたが・・・
ネットで調べたところ三ヶ根駅周辺の駐車場が見当たらないため隣駅の幸田駅に車を停め、まずは三ヶ根駅方面へ歩くことに。
幸田駅前の駐車場。(6時間まで300円、それ以降は500円)

市街地を南へ下ることおよそ40分・・・

10時チョイ前、まずはスタート予定地だった三ヶ根駅に到着。

駅横にあった案内所っぽいところで、店のオバチャンに三ヶ根山までのコースマップをもらい・・・

その駅からさらに15分程歩き車がビュンビュン走る道路脇の登山口へ。

♡ホテルの看板チョイ先にあります。

標高は321mの低山のワリに勾配キツメなところがあったりするものの、木漏れ日の届く明るい登山道のおかげで、ソコソコに気持ちよく歩けます。

低山ならではなのか、醤油ラーメンのような独特の匂いを嗅ぎながら(変な表現ですが、ホントよく感じる匂い)、標高300mくらいならあっちゅう間なんだろーな、なんて歩き続けるも・・・
細かなアップダウンが結構あり、登っては降りの繰り返しで、簡単には登頂させてくれない模様。

先行者発見・・・
それでも調子よく歩き続けることおよそ45分・・・
登山道の切れ目にコンクリートの塊が2つ。

これは昭和32年に作られた三ヶ根山ロープウェイの終点、山上駅跡。麓の形原温泉と繋がっていて、三ヶ根山が一大観光スポットだった頃の名残の一つだそう。
コンクリートの間からは展望も良好。

登山道はここからしばらく平坦な道に。そろそろ山頂だろーかと考えながら歩いていると、途中に三ヶ根山三角点の道標が。

道標の導くまま登山道から脇道に入ると、ちょっとした広場に到着。5分程駆けてアチコチ探すもののまったく三角点は見当たらず・・・

広場の真ん中にあったブロックが三角点かと思っちゃいました。
あきらめかけつつも、この広場にもう一本の道が繋がっていたので、その道をしばらく下ってみることに。

この、動物でも飼っていたかのような檻の近くに・・・

おっ、ありました。

ずいぶん低いところに設置された三角点。まぁ三角点はあくまで測量のためのものなのでどこにあろうといいんですが、なぜ登山者はそれを確認したがるんでしょうか。
(自分のことでもありますが・・・)
確認してコースに復帰、ちょっと進むと登山道は一旦終了。三ヶ根山スカイラインがお出迎え。


スカイラインからの見晴らしはGood。
道路を渡り目の前の白い建物の脇道へと進みますが・・・

その前に脇道の横の駐車場広場に足を向けます。

左手には「ゆうとぴあ三ヶ根」。いい眺めを見ながら休憩が出来るようですが、コーヒー代をケチって立ち寄らず。
ゆうとぴあ三ヶ根の前には「留魂の碑」なるものが。太平洋戦争に関する碑があります。

さて、白い建物の脇から歩道を登り・・・

再びスカイラインに合流。「パールセンター」と書かれたドライブイン跡地の先、「三ヶ根観音」と書かれたところに入っていきます。

立派なお堂の三ヶ根観音。

御朱印も。フツーのは300円、イラスト入り季節限定は700円。沢山あるなぁ・・・

ていうか、種類ありすぎ。ありすぎると有り難みに欠けると言うか。
三ヶ根観音より舗装された道を道なりに進むと・・・

第1見晴台に到着。

三ヶ根山スカイラインのキレイな駐車場。

藤棚のような休憩所には電飾もあり、更にそこから見る三河湾の展望もバツグンで、いわゆるデートスポットのよう。時刻も12時近く、ここで展望を見ながらの昼休憩を・・・


目指す山頂はそろそろのはず。が、イマイチ山頂の位置が分からず。
適当な丘に取り付いてみたり。

その丘から。電波塔の辺りが多分そうかな・・・

廃墟マニアにはたまらないホテルの横を通り過ぎ・・・

第2展望台付近に到着。「殉國七士廟」方面へと進み・・・

特に目印も無い、左の階段を登っていきます。

広場に到着。山頂標識が木にくくりつけてあり、どうやらここが山頂で間違いありません。


スカイラインをメインに歩いているので正直山頂と違っていたらどうしようと思っていましたが、とりあえずひと安心。
といっても別に特別見晴らしがいいワケでもないので、すぐに下山開始。西幡豆方面へと下ります。
殉國七士廟と書かれた石碑を過ぎた近くに・・・

左手に「小野ヶ谷下山道」の文字。この道が西幡豆駅まで連れてってくれるようです。

荒れた道にはオフロードバイクっぽいタイヤ痕も。

途中にあった「小野小桜屋敷跡」。帰ってから調べたらあまり見るべきものがないようで・・・立ち寄らずヨカッタです。

小野小桜とは人の名前です
30分でまともな車道(車道終点)に到着。

跡はルートを確認しながら西幡豆駅方面へ。

途中、子供たちのウェルカム落書きが。

「こないで!コロナ!!」ではなくてヨカッタ・・・
つらつらと歩き続けて西幡豆駅に到着。時刻は13時50分過ぎ。

ここから名鉄蒲郡線で蒲郡競艇場前駅まで行き、隣接するJR東海道本線の三河塩津駅に乗り換え、車のある幸田駅までの電車旅。


時刻は15時を少し回ったところ。

幸田駅前には幸田駅前銀座なる場所があり、ここで土産を買って帰宅いたしました。

おしまい。
と、締めたいところですが・・・・
実は三ヶ根山のことを全く知らずに登って、えらい衝撃を受けました。
(長くなりますが、2度に分けて書くのは内容的にしんどくなりそうなので続けて書きます)
この三ヶ根観音から第1展望台に抜ける時に見た光景・・・





ものすごい数の戦争慰霊碑が・・・
そして展望台とは反対の方向に歩いて行くと・・・





マレーの虎、山下陸軍大将の名も・・・

・・・・・・絶句です。
こんなところが愛知県にあったとは。
ここには太平洋戦争時に比島(フィリピン)で戦没した52万の霊をを供養するために建立された比島観音があり、現在50基近くの慰霊碑が建てられているそう。この一帯、なにか空気が違う気がしないでもありません。
まずは祀られている戦没者の方々の冥福をお祈りしたものの・・・
辺りに書かれてある説明板によると、当時の開戦は仕方なかったという肯定的な文章を読むにつれ、『戦争を肯定しなければ戦没者が浮かばれないではないか』という考えがこれを書かせているのではないかと、ふと思ったり・・・
山ノボリという目的をすっかり忘れ、じっくりと拝見させていただきました。
そして・・・さらに山頂登頂後に訪れた場所。

どでかい石碑に重々しい揮毫。

誰の揮毫かというと、それは石碑の裏に・・・

安倍元総理の祖父、岸信介の名が。
そのまま進みます。

この駐車場を兼ねた広場の中央には「萬世太平」と刻まれた、不思議な形の巨像が。

そしてその一番奥に鎮座する墓。

殉国七士の墓。
殉国七士の「七士」とは、A級戦犯として判決を受け死刑を執行された東條英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根(彼のみB級)、武藤章、広田弘毅の7名のこと。
その7名がなぜここで祀られているかということが、廟内の石碑に書かれておりました。

ざっくり要約すると、7名の絞首刑後、遺骨(遺灰)を遺族に返還しないとする米軍に対し米兵監視の隙をぬって火葬場から遺灰を奪取することに成功、そしてその遺灰を日本の中心に位置する三ヶ根に移した、と言うようなことです。
(日本の中心地 云々のくだりは、実際は違う理由のようですが)
この碑の文言を記したのは東京裁判で小磯国昭元首相の弁護人を務めた三文字正平弁護士。彼の奪取に対する一世一代の思いが石碑に熱く刻まれていました。
7名の遺灰は火葬後にまとめられ灰のほとんどは海に還りましたが、残った僅かな灰を何とかすくい取ったものが、この墓の下に実際に眠っております。

いわゆる戦争犯罪者というのは戦勝国がつくったもので、誰かに責任を取らせることで形式的に戦争を終結させるただの手段だとは思います。なので、仮に東條英機指示の下に真珠湾攻撃が行われた故に死刑、という事が事実とは反していても、戦敗国日本には何も出来ずどうしようもないこと。そういう意味では少しでも遺灰を手にできたことは良かったのかもしれませんが、やはり先程の石碑を読み、複雑な感情が湧き起こりました。
今の政治家も全く同じなんですが・・・戦争時、机上で政治を動かす政治家や軍部にとっては、国の沽券に関わる事こそが大問題で、どこまで国民に気持ちが寄り添っていたのか・・・結果戦争が長期化するにつれ国民はコマでしかなくなり、そのために国民300万人以上が犠牲になったと思うと、ご遺族のためにそっと祀るのなら問題ないのですが、殉国七士といわれ英雄的に扱われることにふと疑問を感じるのです。
(今の日本も庶民の経済的な困窮は、実のところ党のトップに近い政治家にはあまり関係ないのでは、とも思えます)
もちろん、先の戦争を日本が経験したおかげで今の生活があると思うと、その事に対してしっかりと合掌はさせて頂きました。
殉国七士の墓の周りにもたくさんの慰霊碑が・・・



安らかにお眠りください、と・・・
ここが開園したのは昭和35年。比島観音が建立されたのが昭和47年。推測ですが、比島観音周辺の慰霊碑はもしかしたらこの殉国七士廟があったから出来たんではないでしょうか。
もう一つ。(まだあるのか)
登山道から三ヶ根山スカイラインに出たところにあった「ゆうとぴあ三ヶ根」。
ここ、ただの展望の良い喫茶店かと思ったら・・・

このブログを書くために調べてみるとこの店、東條英機の孫、東條由布子さんが殉国七士廟などを慰霊するため管理していた施設でした。
東條由布子さんは2013年に他界、現在はその意志を継ぐ方が管理、経営されており、店内(施設内)には今でも戦争関連の品々が展示してあるとのこと。コーヒー代をケチらずに覗いてみればよかったかな・・・
個々の考え方の相違はあると思いますが、とにかく色々と考えさせられた三ヶ根山でのお話。
なが〜いページ、ここまで読まれた方ありがとうございました。
<行程>
幸田駅(9:18)→三ヶ根駅(9:56)→
登山口(10:16)→ロープウェイ跡(11:00)→
ゆうとぴあ三ヶ根(11:14)→
三ヶ根観音〜第1展望台(11:28〜11:58)→
第2展望台(12:14)→三ヶ根山山頂(12:17)→
殉国七士廟(12:26〜12:40)→
小野ヶ谷下山道口(12:41)→舗装路出合(13:10)
→西幡豆駅(13:54)〜幸田駅(15:02)
〈名鉄蒲郡線・JR東海道本線乗り継ぎ〉
山頂付近まで三ヶ根山スカイラインが走っているためか今まであまり行く気がしなかった山ですが、現時点で愛知県から出られないこともあり、たいした予備知識も無く出掛けて見ました。
予備知識、あった方が良かったというのは後々分かることです。
今回は少しだけ電車を利用。まずは登山口に近い三ヶ根駅周辺に車を停めてスタート、ゴールは西幡豆駅の予定でしたが・・・
ネットで調べたところ三ヶ根駅周辺の駐車場が見当たらないため隣駅の幸田駅に車を停め、まずは三ヶ根駅方面へ歩くことに。
幸田駅前の駐車場。(6時間まで300円、それ以降は500円)

市街地を南へ下ることおよそ40分・・・

10時チョイ前、まずはスタート予定地だった三ヶ根駅に到着。

駅横にあった案内所っぽいところで、店のオバチャンに三ヶ根山までのコースマップをもらい・・・

その駅からさらに15分程歩き車がビュンビュン走る道路脇の登山口へ。

♡ホテルの看板チョイ先にあります。

標高は321mの低山のワリに勾配キツメなところがあったりするものの、木漏れ日の届く明るい登山道のおかげで、ソコソコに気持ちよく歩けます。

低山ならではなのか、醤油ラーメンのような独特の匂いを嗅ぎながら(変な表現ですが、ホントよく感じる匂い)、標高300mくらいならあっちゅう間なんだろーな、なんて歩き続けるも・・・
細かなアップダウンが結構あり、登っては降りの繰り返しで、簡単には登頂させてくれない模様。

先行者発見・・・
それでも調子よく歩き続けることおよそ45分・・・
登山道の切れ目にコンクリートの塊が2つ。

これは昭和32年に作られた三ヶ根山ロープウェイの終点、山上駅跡。麓の形原温泉と繋がっていて、三ヶ根山が一大観光スポットだった頃の名残の一つだそう。
コンクリートの間からは展望も良好。

登山道はここからしばらく平坦な道に。そろそろ山頂だろーかと考えながら歩いていると、途中に三ヶ根山三角点の道標が。

道標の導くまま登山道から脇道に入ると、ちょっとした広場に到着。5分程駆けてアチコチ探すもののまったく三角点は見当たらず・・・

広場の真ん中にあったブロックが三角点かと思っちゃいました。
あきらめかけつつも、この広場にもう一本の道が繋がっていたので、その道をしばらく下ってみることに。

この、動物でも飼っていたかのような檻の近くに・・・

おっ、ありました。

ずいぶん低いところに設置された三角点。まぁ三角点はあくまで測量のためのものなのでどこにあろうといいんですが、なぜ登山者はそれを確認したがるんでしょうか。
(自分のことでもありますが・・・)
確認してコースに復帰、ちょっと進むと登山道は一旦終了。三ヶ根山スカイラインがお出迎え。


スカイラインからの見晴らしはGood。
道路を渡り目の前の白い建物の脇道へと進みますが・・・

その前に脇道の横の駐車場広場に足を向けます。

左手には「ゆうとぴあ三ヶ根」。いい眺めを見ながら休憩が出来るようですが、コーヒー代をケチって立ち寄らず。
ゆうとぴあ三ヶ根の前には「留魂の碑」なるものが。太平洋戦争に関する碑があります。

さて、白い建物の脇から歩道を登り・・・

再びスカイラインに合流。「パールセンター」と書かれたドライブイン跡地の先、「三ヶ根観音」と書かれたところに入っていきます。

立派なお堂の三ヶ根観音。

御朱印も。フツーのは300円、イラスト入り季節限定は700円。沢山あるなぁ・・・

ていうか、種類ありすぎ。ありすぎると有り難みに欠けると言うか。
三ヶ根観音より舗装された道を道なりに進むと・・・

第1見晴台に到着。

三ヶ根山スカイラインのキレイな駐車場。

藤棚のような休憩所には電飾もあり、更にそこから見る三河湾の展望もバツグンで、いわゆるデートスポットのよう。時刻も12時近く、ここで展望を見ながらの昼休憩を・・・


目指す山頂はそろそろのはず。が、イマイチ山頂の位置が分からず。
適当な丘に取り付いてみたり。

その丘から。電波塔の辺りが多分そうかな・・・

廃墟マニアにはたまらないホテルの横を通り過ぎ・・・

第2展望台付近に到着。「殉國七士廟」方面へと進み・・・

特に目印も無い、左の階段を登っていきます。

広場に到着。山頂標識が木にくくりつけてあり、どうやらここが山頂で間違いありません。


スカイラインをメインに歩いているので正直山頂と違っていたらどうしようと思っていましたが、とりあえずひと安心。
といっても別に特別見晴らしがいいワケでもないので、すぐに下山開始。西幡豆方面へと下ります。
殉國七士廟と書かれた石碑を過ぎた近くに・・・

左手に「小野ヶ谷下山道」の文字。この道が西幡豆駅まで連れてってくれるようです。

荒れた道にはオフロードバイクっぽいタイヤ痕も。

途中にあった「小野小桜屋敷跡」。帰ってから調べたらあまり見るべきものがないようで・・・立ち寄らずヨカッタです。

小野小桜とは人の名前です
30分でまともな車道(車道終点)に到着。

跡はルートを確認しながら西幡豆駅方面へ。

途中、子供たちのウェルカム落書きが。

「こないで!コロナ!!」ではなくてヨカッタ・・・
つらつらと歩き続けて西幡豆駅に到着。時刻は13時50分過ぎ。

ここから名鉄蒲郡線で蒲郡競艇場前駅まで行き、隣接するJR東海道本線の三河塩津駅に乗り換え、車のある幸田駅までの電車旅。


時刻は15時を少し回ったところ。

幸田駅前には幸田駅前銀座なる場所があり、ここで土産を買って帰宅いたしました。

おしまい。
と、締めたいところですが・・・・
実は三ヶ根山のことを全く知らずに登って、えらい衝撃を受けました。
(長くなりますが、2度に分けて書くのは内容的にしんどくなりそうなので続けて書きます)
この三ヶ根観音から第1展望台に抜ける時に見た光景・・・





ものすごい数の戦争慰霊碑が・・・
そして展望台とは反対の方向に歩いて行くと・・・





マレーの虎、山下陸軍大将の名も・・・

・・・・・・絶句です。
こんなところが愛知県にあったとは。
ここには太平洋戦争時に比島(フィリピン)で戦没した52万の霊をを供養するために建立された比島観音があり、現在50基近くの慰霊碑が建てられているそう。この一帯、なにか空気が違う気がしないでもありません。
まずは祀られている戦没者の方々の冥福をお祈りしたものの・・・
辺りに書かれてある説明板によると、当時の開戦は仕方なかったという肯定的な文章を読むにつれ、『戦争を肯定しなければ戦没者が浮かばれないではないか』という考えがこれを書かせているのではないかと、ふと思ったり・・・
山ノボリという目的をすっかり忘れ、じっくりと拝見させていただきました。
そして・・・さらに山頂登頂後に訪れた場所。

どでかい石碑に重々しい揮毫。

誰の揮毫かというと、それは石碑の裏に・・・

安倍元総理の祖父、岸信介の名が。
そのまま進みます。

この駐車場を兼ねた広場の中央には「萬世太平」と刻まれた、不思議な形の巨像が。

そしてその一番奥に鎮座する墓。

殉国七士の墓。
殉国七士の「七士」とは、A級戦犯として判決を受け死刑を執行された東條英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根(彼のみB級)、武藤章、広田弘毅の7名のこと。
その7名がなぜここで祀られているかということが、廟内の石碑に書かれておりました。

ざっくり要約すると、7名の絞首刑後、遺骨(遺灰)を遺族に返還しないとする米軍に対し米兵監視の隙をぬって火葬場から遺灰を奪取することに成功、そしてその遺灰を日本の中心に位置する三ヶ根に移した、と言うようなことです。
(日本の中心地 云々のくだりは、実際は違う理由のようですが)
この碑の文言を記したのは東京裁判で小磯国昭元首相の弁護人を務めた三文字正平弁護士。彼の奪取に対する一世一代の思いが石碑に熱く刻まれていました。
7名の遺灰は火葬後にまとめられ灰のほとんどは海に還りましたが、残った僅かな灰を何とかすくい取ったものが、この墓の下に実際に眠っております。

いわゆる戦争犯罪者というのは戦勝国がつくったもので、誰かに責任を取らせることで形式的に戦争を終結させるただの手段だとは思います。なので、仮に東條英機指示の下に真珠湾攻撃が行われた故に死刑、という事が事実とは反していても、戦敗国日本には何も出来ずどうしようもないこと。そういう意味では少しでも遺灰を手にできたことは良かったのかもしれませんが、やはり先程の石碑を読み、複雑な感情が湧き起こりました。
今の政治家も全く同じなんですが・・・戦争時、机上で政治を動かす政治家や軍部にとっては、国の沽券に関わる事こそが大問題で、どこまで国民に気持ちが寄り添っていたのか・・・結果戦争が長期化するにつれ国民はコマでしかなくなり、そのために国民300万人以上が犠牲になったと思うと、ご遺族のためにそっと祀るのなら問題ないのですが、殉国七士といわれ英雄的に扱われることにふと疑問を感じるのです。
(今の日本も庶民の経済的な困窮は、実のところ党のトップに近い政治家にはあまり関係ないのでは、とも思えます)
もちろん、先の戦争を日本が経験したおかげで今の生活があると思うと、その事に対してしっかりと合掌はさせて頂きました。
殉国七士の墓の周りにもたくさんの慰霊碑が・・・



安らかにお眠りください、と・・・
ここが開園したのは昭和35年。比島観音が建立されたのが昭和47年。推測ですが、比島観音周辺の慰霊碑はもしかしたらこの殉国七士廟があったから出来たんではないでしょうか。
もう一つ。(まだあるのか)
登山道から三ヶ根山スカイラインに出たところにあった「ゆうとぴあ三ヶ根」。
ここ、ただの展望の良い喫茶店かと思ったら・・・

このブログを書くために調べてみるとこの店、東條英機の孫、東條由布子さんが殉国七士廟などを慰霊するため管理していた施設でした。
東條由布子さんは2013年に他界、現在はその意志を継ぐ方が管理、経営されており、店内(施設内)には今でも戦争関連の品々が展示してあるとのこと。コーヒー代をケチらずに覗いてみればよかったかな・・・
個々の考え方の相違はあると思いますが、とにかく色々と考えさせられた三ヶ根山でのお話。
なが〜いページ、ここまで読まれた方ありがとうございました。
<行程>
幸田駅(9:18)→三ヶ根駅(9:56)→
登山口(10:16)→ロープウェイ跡(11:00)→
ゆうとぴあ三ヶ根(11:14)→
三ヶ根観音〜第1展望台(11:28〜11:58)→
第2展望台(12:14)→三ヶ根山山頂(12:17)→
殉国七士廟(12:26〜12:40)→
小野ヶ谷下山道口(12:41)→舗装路出合(13:10)
→西幡豆駅(13:54)〜幸田駅(15:02)
〈名鉄蒲郡線・JR東海道本線乗り継ぎ〉
13年ぶりの鎌ヶ岳(2025.4.19)&、GWの猿投山(2025.4.27)
MAMMUT Sertig II Mid GTX 購入 & 猿投山。
体力測定的な本日の猿投山(2024.11.24)
宮路山と五井山へ(2024.9.23)
いつもの猿投山。(2024.9.16)
あいもかわらず猿投山。(2023.9.3)
MAMMUT Sertig II Mid GTX 購入 & 猿投山。
体力測定的な本日の猿投山(2024.11.24)
宮路山と五井山へ(2024.9.23)
いつもの猿投山。(2024.9.16)
あいもかわらず猿投山。(2023.9.3)
この記事へのコメント
こんばんは(^^)/
読み応えのある記事でした・・・。
昔、極東裁判に興味があり、色々とその分野に関する本を読んでいた時期がありました。
A級戦犯で処刑された広田弘毅、この人はずっと戦争反対の姿勢だったのに、処刑されたのですよね。日本人らしく、全く自己弁護をされなかったと記憶しています。
それはそうと、何と東条英機のお孫さんが経営されていた喫茶店!?
この方は生前よくテレビに出演されており、極東裁判の理不尽さを発信されていました。まさか喫茶店をされていたとは・・・。僕だったらコーヒー一杯千円でも入っていましたよ(^-^;
前半の登山部分がかすれるほど、後半の内容が大変心に響きました(^^)次回はぜひ喫茶店に行ってみて下さい♪
読み応えのある記事でした・・・。
昔、極東裁判に興味があり、色々とその分野に関する本を読んでいた時期がありました。
A級戦犯で処刑された広田弘毅、この人はずっと戦争反対の姿勢だったのに、処刑されたのですよね。日本人らしく、全く自己弁護をされなかったと記憶しています。
それはそうと、何と東条英機のお孫さんが経営されていた喫茶店!?
この方は生前よくテレビに出演されており、極東裁判の理不尽さを発信されていました。まさか喫茶店をされていたとは・・・。僕だったらコーヒー一杯千円でも入っていましたよ(^-^;
前半の登山部分がかすれるほど、後半の内容が大変心に響きました(^^)次回はぜひ喫茶店に行ってみて下さい♪
ゆみ王さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
三ヶ根山、ホントにビックリしました。ある意味靖国よりスゴいところじゃないかと思います。
自分はどちらかというとライトスタンド寄りの思想を持っていたのですが、年を重ねるにつれ、当時の世界情勢からしてもなお「果たして戦争という手段しかなかったのか」という疑問が大きく頭を掲げています。
自分の中で未だ正解を見いだせないのですが・・・
過ぎ去ったことを教訓として考えるほかありませんね。
喫茶店、たしかに行っておけば良かったです。今の経営者の方はその辺りのことについてしっかりお話しをしてくれる方らしいので、ゆみ王さんも興味があれば、ぜひ愛知県まで登山をかねて訪れて下さいませ(^^
三ヶ根山、ホントにビックリしました。ある意味靖国よりスゴいところじゃないかと思います。
自分はどちらかというとライトスタンド寄りの思想を持っていたのですが、年を重ねるにつれ、当時の世界情勢からしてもなお「果たして戦争という手段しかなかったのか」という疑問が大きく頭を掲げています。
自分の中で未だ正解を見いだせないのですが・・・
過ぎ去ったことを教訓として考えるほかありませんね。
喫茶店、たしかに行っておけば良かったです。今の経営者の方はその辺りのことについてしっかりお話しをしてくれる方らしいので、ゆみ王さんも興味があれば、ぜひ愛知県まで登山をかねて訪れて下さいませ(^^