雁峰山&チョロッと史跡 (2016.02.07)
冬の低山めぐり、今回は地元愛知の雁峰山(かんぼうやま・628m)。
後半は近くの史跡も見学予定。
こちらの山です。

豊川の本宮山登山口「豊川ウォーキングセンター」の前を抜けてさらに20分、県道21号線脇の雁峰山の「須長登山口」に到着。
クルマは登山口よりちょっと離れた空きスペースに駐車。地元の方に教えてもらいました。

設楽原(したらはら)にある雁峰山は「長篠設楽原の戦い」の舞台の一つで、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)という足軽が狼煙(のろし)を上げた山として、歴史に名を残している山のようです。
すねえもん・・・ドラえもんとスネ夫を足したような名前です。
この「古戦場いろはかるた」のある場所が登山口。

9時45分、民家の脇を抜け、産廃処理場を左手に見ながらゆっくりスタート。



15分ほどで腐った橋が登場。おっかないので橋下へ降りて向こう岸へ。

不安定な斜面で、下りるのもおっかなかったですが・・・
その先も多くの倒木が登山道を塞いでいて、すんなりとは前に進ませてくれません。


あまり人が入っていないようです。
歩きづらい道が終わると現れる林道。この林道を右方面に1〜2分程進むと・・・

このような説明書きに出くわします。

「鳥居強右衛門のろし場」とあります。
鳥居強右衛門とは、徳川方の国衆「奥平家」に仕えた家臣。
家康から託された長篠城を武田軍に包囲された際、家康のいる岡崎城まで援軍を求めるため、長篠城の下水口より抜け出した人物が強右衛門でした。
武田軍に見つからず脱出した強右衛門はそれを長篠城に伝えるため、この雁峰山から狼煙を上げ、岡崎城に援軍を要請した後、もう一度ここで狼煙をあげたと言われています。
奥三河の山々を歩いていると「信玄ののろし場」は多く出会いますが、織田・徳川の連合軍側の狼煙場は初めてです。
この案内板の脇を登っていくと・・・

「涼み松」の立て札。

狼煙はここから上げられたようです。
戦国時代は麓からこの辺りが見えたようですが、今は木々に囲まれて当時の様子を伺い知ることはできません。
この後2度ほど林道をまたぎ(どちらも左側に進みます)、緩やかな傾斜をノソノソと進めば・・・


三角点と標識らしきモノがある広場に到着。雁峰山の頂上でございました。

麓から約1時間20分、標識の文字が認識できないので一応現在地をGPSで確認、合っております。
周辺を見渡すとあちこちの方角に目印のリボンが巻かれており、山頂までいろんなコースがあるみたいですが、ボーッとしてたら下山口を間違えそう。

てことで、記憶のあるうちに下山開始。
途中、結構下ったところに、登りの時に気づかなかった唯一景色が広がる場所を発見。

ビミョーですが・・・
ここでノンビリと昼飯を頂き12時20分に下山完了、本日の登山者は自分一人のようでした。
山のぼりの後は資料館・史跡めぐり。
まず向かったのは「設楽原歴史資料館」。施設内にはこの辺りの合戦状況や様々な資料・史跡があります。

来る途中「日本一の火縄銃」という看板を見ましたが、その名に恥じない火縄銃が展示されて圧巻。火縄銃マニアにはたまらない・・・と思います。
マニアでないワタクシもビックリしました。

火縄銃の多さ、写真ではお伝えしきれません・・・
そして「鳥居強右衛門」磔の図。

下水口より抜け出した人物なのでもっと細マッチョかと思いましたが・・・ゴツいです。
なぜ磔にされたかというと・・・
雁峰山で狼煙を上げた強右衛門は、援軍要請の詳細を伝えようと再び長篠城に戻る途中、武田軍に捕らえられてしまいます。
その後武田勝頼より「長篠城内に向かって『援軍は来ない、あきらめて城を明け渡すべき』と言えば命を助け、家臣にする」と言われ、強右衛門はそれを承諾。
そして長篠城近くの見通しのいい場所に引き立てられた強右衛門。が、結局彼は・・・
「援軍はすぐそこまで来ている。あと二、三日、もう少しの辛抱だ」と大声で城内へと叫んだため、その場で磔にされ殺されたと伝えられています。
・・・いい話です。(大衆演劇向き?)
なぜ、もっといいオトコに描いてあげられなかったのでしょうか。残念でなりません。
資料館周辺にあるのは、設楽原の戦いで出た戦死者を弔う2つの「信玄塚」。


連合軍と武田軍あわせて1万6千人もの戦死者があったといわれており、それをこの地の村人が片付けたそう・・・
やらされる村人の身にもなって欲しいと思いますよ。
資料館からチョット行くと、あの有名な「馬防柵」へ。

連合軍の鉄砲隊が、武田軍に向かって絶え間なく火縄銃を撃ち続けたという場所。長篠合戦の一番のハイライトシーンとしてお馴染みです。

さらにクルマを走らせ「長篠城址史跡保存館」へ。

長篠城は日本百名城の一つなのですが城らしいものは何処にもなく、建物は資料館があるのみ。
歴史舞台で重要な価値があるとの真意は分かりますが、寂しい限りです。
館内は、こちらも合戦状況や様々な資料が展示あって見どころありました。

撮影禁止なので写真はございません・・・
てなワケで、強右衛門のやま、雁峰山でした。
<行程>(雁峰山のみです)
須長登山口(9:43)→涼み松(10:38)→
山頂(11:07)→須長登山口(12:20)
後半は近くの史跡も見学予定。
こちらの山です。

豊川の本宮山登山口「豊川ウォーキングセンター」の前を抜けてさらに20分、県道21号線脇の雁峰山の「須長登山口」に到着。
クルマは登山口よりちょっと離れた空きスペースに駐車。地元の方に教えてもらいました。

設楽原(したらはら)にある雁峰山は「長篠設楽原の戦い」の舞台の一つで、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)という足軽が狼煙(のろし)を上げた山として、歴史に名を残している山のようです。
すねえもん・・・ドラえもんとスネ夫を足したような名前です。
この「古戦場いろはかるた」のある場所が登山口。

9時45分、民家の脇を抜け、産廃処理場を左手に見ながらゆっくりスタート。



15分ほどで腐った橋が登場。おっかないので橋下へ降りて向こう岸へ。

不安定な斜面で、下りるのもおっかなかったですが・・・
その先も多くの倒木が登山道を塞いでいて、すんなりとは前に進ませてくれません。


あまり人が入っていないようです。
歩きづらい道が終わると現れる林道。この林道を右方面に1〜2分程進むと・・・

このような説明書きに出くわします。

「鳥居強右衛門のろし場」とあります。
鳥居強右衛門とは、徳川方の国衆「奥平家」に仕えた家臣。
家康から託された長篠城を武田軍に包囲された際、家康のいる岡崎城まで援軍を求めるため、長篠城の下水口より抜け出した人物が強右衛門でした。
武田軍に見つからず脱出した強右衛門はそれを長篠城に伝えるため、この雁峰山から狼煙を上げ、岡崎城に援軍を要請した後、もう一度ここで狼煙をあげたと言われています。
奥三河の山々を歩いていると「信玄ののろし場」は多く出会いますが、織田・徳川の連合軍側の狼煙場は初めてです。
この案内板の脇を登っていくと・・・

「涼み松」の立て札。

狼煙はここから上げられたようです。
戦国時代は麓からこの辺りが見えたようですが、今は木々に囲まれて当時の様子を伺い知ることはできません。
この後2度ほど林道をまたぎ(どちらも左側に進みます)、緩やかな傾斜をノソノソと進めば・・・


三角点と標識らしきモノがある広場に到着。雁峰山の頂上でございました。

麓から約1時間20分、標識の文字が認識できないので一応現在地をGPSで確認、合っております。
周辺を見渡すとあちこちの方角に目印のリボンが巻かれており、山頂までいろんなコースがあるみたいですが、ボーッとしてたら下山口を間違えそう。

てことで、記憶のあるうちに下山開始。
途中、結構下ったところに、登りの時に気づかなかった唯一景色が広がる場所を発見。

ビミョーですが・・・
ここでノンビリと昼飯を頂き12時20分に下山完了、本日の登山者は自分一人のようでした。
山のぼりの後は資料館・史跡めぐり。
まず向かったのは「設楽原歴史資料館」。施設内にはこの辺りの合戦状況や様々な資料・史跡があります。

来る途中「日本一の火縄銃」という看板を見ましたが、その名に恥じない火縄銃が展示されて圧巻。火縄銃マニアにはたまらない・・・と思います。
マニアでないワタクシもビックリしました。

火縄銃の多さ、写真ではお伝えしきれません・・・
そして「鳥居強右衛門」磔の図。

下水口より抜け出した人物なのでもっと細マッチョかと思いましたが・・・ゴツいです。
なぜ磔にされたかというと・・・
雁峰山で狼煙を上げた強右衛門は、援軍要請の詳細を伝えようと再び長篠城に戻る途中、武田軍に捕らえられてしまいます。
その後武田勝頼より「長篠城内に向かって『援軍は来ない、あきらめて城を明け渡すべき』と言えば命を助け、家臣にする」と言われ、強右衛門はそれを承諾。
そして長篠城近くの見通しのいい場所に引き立てられた強右衛門。が、結局彼は・・・
「援軍はすぐそこまで来ている。あと二、三日、もう少しの辛抱だ」と大声で城内へと叫んだため、その場で磔にされ殺されたと伝えられています。
・・・いい話です。(大衆演劇向き?)
なぜ、もっといいオトコに描いてあげられなかったのでしょうか。残念でなりません。
資料館周辺にあるのは、設楽原の戦いで出た戦死者を弔う2つの「信玄塚」。


連合軍と武田軍あわせて1万6千人もの戦死者があったといわれており、それをこの地の村人が片付けたそう・・・
やらされる村人の身にもなって欲しいと思いますよ。
資料館からチョット行くと、あの有名な「馬防柵」へ。

連合軍の鉄砲隊が、武田軍に向かって絶え間なく火縄銃を撃ち続けたという場所。長篠合戦の一番のハイライトシーンとしてお馴染みです。

さらにクルマを走らせ「長篠城址史跡保存館」へ。

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歴史舞台で重要な価値があるとの真意は分かりますが、寂しい限りです。
館内は、こちらも合戦状況や様々な資料が展示あって見どころありました。

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<行程>(雁峰山のみです)
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山頂(11:07)→須長登山口(12:20)
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MAMMUT Sertig II Mid GTX 購入 & 猿投山。
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いつもの猿投山。(2024.9.16)
あいもかわらず猿投山。(2023.9.3)
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