去年は王滝頂上までだった御嶽山登山。
今年も10月12日まで山頂規制解除チュウ。今回は2年ぶりの山頂へ向かうことに。
ネンイチオンタケ、であります。
道の駅みたけで車中泊後、翌朝中の湯付近の駐車場へ。
6時スタート。行きますよ、と・・・
長野営林局で雇われている火消しのリス親分
毎回帰りに食べるつもりも下山時に必ず忘れる行者山荘「名物ちからもち」
景色に感動する体で休憩し、写真を撮る体でまた休憩
変なキャプション、いらんですか・・・
八合目、女人堂からの景色。快晴の空と山々。
手前が乗鞍、奥に穂高連峰の面々。向こうも混んでるんだろーな、と。
今年は三ノ池方面が久しぶりに開通されていたものの、迷った末に今回はパス。
現時点で腿パンパン度は70%。30%の余力で頑張ります。
石室山荘
覚明堂跡
覚明上人
最近読んだ、瓜生中著「よくわかる山岳信仰」(角川文庫)に御嶽山開山についての記述が少し載っていたので、今さらながら覚明について・・・
江戸時代、今の愛知県春日井あたりで営んでいた餅屋の商売が立ち行かなくなった覚明は、ある日突然巡礼の旅に出る。その道中、四国巡礼の折りに訪れた第三十八番所「金剛福寺」にて、白川権現(神)より「御嶽山を開山せよ」と託宣を受け御嶽山に赴くものの、一般の登拝者を全く寄せ付けなかった神聖で厳しい霊場であったため、神職や代官から登拝の許可が下りず、その13年後、地元民を率いて強行登拝し、さらに翌年の強行登拝時に登山道も整備したという。
本来江戸幕府は不要不急の旅行は禁止していたが、寺社巡りに関しては藩の財政に寄与することから見て見ぬふりをしていたので、覚明はその流れを敏感に感じ取った上の行為だったとも考えられる。
とのことであります。すごく適当な要約でしたが・・・
想像するに、潰れた餅屋をほっといて旅に出たり、許可の無いままの強行登拝など、もしかしたらツッコミどころの多かった人物だったかも。
・・・ためになりましたでしょーか。
さておき。
辛いながらも順調に歩を進め(腿パンパン度90%)、シェルターのある山頂直下へ。
以前の旭館の場所。絶賛工事中ですが、土台補強に時間がかかったのか、それともコロナの影響なのか、一昨年と比べて目に見えた進化は少なめでした。
基礎工事がイチバン大事
10時、程よい混み具合の山頂へ。
富士山もいつもよりチョット高めに顔を出して、登頂を歓迎おりました。
そんなワケない・・・
毎度毎度の眺めですが、3000m級独立峰ならではのパノラマビューがあり、飽きずに登れる本当にいい山。今年も来れてヨカッタです。
(緊急事態が解除にならなければ、諦めてました)
なんと、白川権現像の御前に恐れ多くもシェルターが。
致し方なし、ですかね・・・
剣ヶ峰登頂後は何となく、いつも通りの二ノ池方面へ。
二の池ヒュッテの近くにドカッと腰を下ろして一息。
摩利支天方面を眺めながら、昼飯でも食うかと、クッカーを取り出したものの・・・
ジー・・・
ジーーー・・・っと。
まったく作る気が起こらず。
ああ、湯湧かしたり、なんか面倒くさい・・・なんて考えてるうちに睡魔が。
(20分程、意識とぶ・・・)
寝起き後、結局コンビニおにぎりをひとつ、水で無理矢理流し込んで食事終了。なんだかんだでヒュッテ前に1時間以上の滞在。
時刻は12時チョイ過ぎ。そろそろ下らねばってことで、ノソノソと行動開始。
全くカネも落とさず、どーもスミマセン
20分も寝たため、帰りの足取りはゼッコーチョー。
たいした疲れもなく、二の池ヒュッテから2時間チョイで下って中の湯へ。
最後の最後までイイ天気の一日でした。
勢いよく下ったせいなのか、7月に北岳で痛めた足の中指の爪が駐車場で剥がれ落ちましたが・・・
(痛みはありませんでした)^^/
<行程>
中の湯登山口(6:07)→行者山荘(6:50)→
女人堂(7:45〜8:00)→石室山荘(9:10)→
覚明堂(9:25)→剣ヶ峰山頂(10:07〜22)→
二の池ヒュッテ(10:50〜12:14)→
覚明堂(12:34)→石室山荘(12:43)→
女人堂(13:20〜29)→行者山荘(13:56)→
中の湯登山口(14:25)